甲子園ラッキーゾーンの真実!なぜ設置され、なぜ消えたのか?

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その昔、甲子園にラッキーゾーンなる空間があったことをご存知でしょうか?

外野のレフトとライト側に、もうひとつの金網フェンスが存在していたことを?

打者にとってはまさに夢のゾーン。

野球は投手が剛速球で抑え、打者がホームランを打って、観客を魅了する。

そのホームランを増やすための仕掛けとして導入されたのがラッキーゾーンです。

そして、時代は進みパワー野球が主流となる中、その役目を静かに終え撤去されて行きます。

本記事では、なぜラッキーゾーンが生まれ、なぜ消えていったのか?

その背景と文化的な意義、そして現代における価値などについても振り返ります。

甲子園の歴史!ラッキーゾーンとは?

ラッキーゾーンとは、甲子園球場の外野フェンス内側に設置されていた金網フェンスのこと。

1947年から1991年までの約44年間、プロ野球公式戦や高校野球でも使われていました。

このゾーンは、通常のフェンスよりも約10m内側に設置されたため、本来ならば外野フライでアウトになるような打球がホームランとなります。

1947年5月26日、ラッキーゾーンの設置時の外野は、中堅118.9m、左右中間108.5m、両翼85.4mでした。

したがって、長距離バッターであれば、両翼のホームラン狙いは避けられないでしょう。

途中に広さの変動は加わるものの、ラッキーゾーンの最終年には、中堅は118.0m、左右中間113.2m、両翼91.0mとされています。

そして、撤去時から今現在の甲子園の外野の広さは、中堅118.0m、左右中間118.0m、両翼95mです。

つまり、ラッキーゾーンは打者にとってはホームランが出やすい空間だったと言えます。

名称の由来は、ラッキーな場所!空間!

今までは外野フライでアウトになっていた所が、金網フェンスを越えればホームランになることから自然的に「ラッキーゾーン」と呼ばれるようになったそうです。

このゾーンの設置により、観客を引きつけるホームランシーンが増加!

ラッキーゾーンは、昭和の野球を象徴する空間の一つとして、多くのファンの記憶に刻まれています。

 

甲子園のラッキーゾーンは、なぜ作られた?

ラッキーゾーンが誕生した理由には、野球界のホームラン不足が大きく関係しています。

第二次世界大戦後の日本は、スポーツや娯楽を通じて人々の心を癒す必要がありました。

復興を目指す日本国民の人気が野球に集まります。

甲子園は非常に広大な球場であり、ホームランの出ない試合内容に物足りなさを感じる声も上がります。

当時のバットやボールの性能や選手の体格などを考えると、ホームランを打つのは至難の業でした。

これでは観客が盛り上がらず、試合全体のエンタメ性も低くなり、観客動員数減少を考えた阪神電気鉄道は?

ホームランをより出やすくするための視覚的戦略の工夫として、ラッキーゾーンを導入しました。

そして、このゾーンによって打者の心理も変化して行きます。

通常の打撃でもホームランを打つことのできない選手にもホームランを打つ可能性が広がる?

実際、長打力のない選手でもスタンドインするチャンスが増え、試合は盛り上がり、観る楽しさが倍増したとのこと。

つまりラッキーゾーンは、戦後の野球人気を支える大きな役割を果たしていたのです。

 

甲子園のラッキーゾーンは、なぜ消えた?時代変化と回帰

ラッキーゾーンは1991年に撤去されました。

撤去の理由には、時代的な背景と野球スタイルの変化が重なった結果とのことです。

まず第一に上がるのが、1980年代後半頃から選手の打撃技術の向上、パワー野球が主流となったことが考えられます。

木製バットの性能も向上し、ホームランが十分に出る時代に突入したと言えます。

また、プロ野球界では「真の実力で勝負すべき」という声も強まりました。

ホームランを打ったことのない選手までもが、ラッキーゾーンにホームランを打つことが出来るのですから投手陣からは不満の声も上がるでしょう。

実際にゾーンのある甲子園と、他の球場とでは投手の防御率にも差が出る?

球場によっても投手は気を使いながらの投球が必要になるということですね。

球場の公平性を語り出したらキリがない感じもしますが?

さらに、観客の求める野球の質も変化し、ホームランが多ければ面白いという時代は終わりを告げます。

よって、戦術や投打の駆け引きを含めた本格的な野球を評価する時代へと突入したと言えます。

このような時代の流れと共に、1991年12月5日をもってラッキーゾーンは撤去されました。

甲子園は本来の広さと野球本来の魅力を取り戻す方向へと舵を切ったのです。

 

昭和野球の象徴だった甲子園のラッキーゾーンをどう見る?

ラッキーゾーンの撤去から30年以上が経ち、今では多くの若い野球ファンがその存在すら知りません。

しかし、昭和当時の野球を知る世代にとってラッキーゾーンは、野球の魅力を引き出すもの。

今となっては、ノスタルジーの象徴とも言えます。

甲子園のラッキーゾーンを思い起こすと同時に、あの頃の出来事も一緒に浮かび上がって来る?

懐かしのブラウン管テレビで見ていた「阪神×巨人戦」なども浮かび上がってくる人もいるのではないでしょうか?

ホームランが飛び交う華やかな時代を演出し、プロ野球の黄金時代を支えたその姿は、まさに昭和の象徴!

パワーが主流となっている野球界に、いまラッキーゾーンは必要でしょうか?

答えは「ノー」と答える人が多いかもしれません。

しかし、打者に希望を与えたラッキーゾーンの功績は、野球の歴史に多くのドラマを演出した価値あるものでした。

また、高校野球でも甲子園のラッキーゾーンが語られることは少なくありません。

昭和の名勝負の中にも、ラッキーゾーンが決めてとなった試合も存在します。

こうした野球の劇的なドラマを生んだ演出装置が、ラッキーゾーンであった言えるのではないでしょうか。

 

 

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