甲子園の銀傘は、日本スポーツ界における象徴的な存在です。
この大きな屋根は、独特のデザインと銀色の輝きから「銀傘」と呼ばれ、観客を強い日差しや雨天から守る役割を果たしています。
その存在は、戦後の日本を支えた中等学校野球大会(のちの高校野球)から白熱するプロ野球までを見守り続け、たくさんの汗と涙と共に歴史を築いてきました。
雲一つない空から見渡す銀傘は、日光や雨風をしのぐ実用性だけでなく、婉曲に広がる美しさと耐久性を兼ね備え、甲子園球場に訪れる人々に安らぎを与え続けています。
このブログでは、甲子園の銀傘の誕生秘話や歴史的な物語を深掘り、銀傘に秘められた特別な魅力をご紹介します。
甲子園の銀傘とは、どのような目的や意図で設置され、どのように甲子園の象徴となって来たのか?
甲子園球場は、日本の野球ファンに愛され続けていますが、なぜここまで特別な存在であり続けられるのか?
その背景や技術的な価値について甲子園の銀傘を深く掘り下げて行くと、単なる屋根だけでは済まされない歴史が垣間見れるかもしれません。
甲子園の銀傘の歴史と役割?
夏の日差し猛暑の下、熱戦を繰り広げる高校球児たち。
グラウンドに立つ選手たちはもちろん、球場全体を覆い被さる熱気と迫力は絶頂へと達します。
普段から熱いなか日々鍛えられている選手たちは、多少の熱さの免疫はできています。
しかし、そんな陰ながら夏の日の強い日差しを守り、雨の日には雨水を受け止め、客席で応援する観戦者を守り抜く。
甲子園の内野スタンドに覆い被さる屋根!
甲子園を白銀に輝かせる屋根を「銀傘(※戦前は鉄傘)」と言います。
甲子園に足を運んだことのある人で、内野席に覆い被さる銀傘のありがたみを感じている人は多いのではないでしょうか。
観客席を覆う銀傘!2024年に使われているものは、なんと4代目にあたるという甲子園球場の象徴の1つ。
1924年に甲子園球場が出来上がってから、観客に心地よい観戦環境を創り出してきました。
この銀色の屋根は、内野席全体を覆うように広がっているため、独特の形状と機能性を兼ね備えた甲子園の象徴となっています。
真夏に行われる全国高等学校野球選手権大会では、猛暑が続き熱気溢れる中でも客席を日陰で包み込み快適な試合観戦を提供できるよう重要な役割を果たしています。
銀傘上側に設置されている1,600枚のソーラーパネルは、ナイターで使用する照明に値するほどの電力量(約193000 kwh)をソーラーパワー(再生可能エネルギー)で賄うことが可能とのこと。
ソーラーパネルの設置費用は約1億5千万円!太陽光発電で球場全体の電力使用量の約5.3%を賄えるという銀傘による環境問題への飽くなき努力です。
それは甲子園球場すべての電気料金と、阪神タイガースが1年間に甲子園ナイターで使用する照明の電力量と等しく、火力発電で比べると二酸化炭素の排出量も年間で約150㌧もの削減に繋がるそうです。
約40万平方メートル(大阪城公園の約3分の1)(甲子園球場の約12個分)(京セラドーム大阪約10.5個分)(東京ドーム約8.6個分)の森林が年間に吸収する二酸化炭素と同じ量の削減に繋がります。
甲子園球場でも地球温暖化、環境問題を考えた取り組みを行なっているということですね。
一塁側と三塁側の内野席通路には発電量が表示され、来場者が稼働状況を確認することができます。
そして他にも、客席内野スタンドを覆う銀傘!約7,500m²の大屋根に降った雨を、2008年のリニューアル工事後から地下タンクに貯水できるようになり、甲子園球場の水撒きやトイレの洗浄水として再利用されています。
雨水で甲子園球場で使用する水量(約66,600㎥)のうちの年間約65%を補うことが出来るのですから地球に優しい球場であり、素晴らしい取り組みでもあります。
銀傘の屋根下には、甲子園で鳴り響く試合開始と終了の合図に使われるモーターサイレンが設置されています。
そして銀傘の屋根上には、テレビ局が野球中継で使用するためのリモコンカメラが2台設置されています。
銀傘の上に落ちたボールは、排水窪み(雨樋)を通って、ロイヤルスイートの屋根に流れるようになっています。
初めに造られた甲子園球場の屋根は鉄で作られた「鉄傘」と呼ばれ、複数の支柱に支えられた客席の視界を遮る見難さが問題でした。
1982年の改修工事で支柱の数も減少し視界も改善され、2008年から2010年にかけてのリニューアル工事では、柱のないどの席からでも試合を見渡すことのできる観客席へと変わって行きます。
人間の技術には、本当に驚かされてばかりです。
銀傘は屋根以上にもエコな活動に力を注ぎ、甲子園球場の美しい景観と観戦の快適さと存在をアピールしています。
これからも甲子園の守り神として時代とともに進化を遂げながら、野球選手から野球ファン・お客様に愛され続けて行くのではないでしょうか。
甲子園の銀傘!戦前は、鉄傘?
甲子園球場の銀傘に関心が向けられたのは、来る甲子園生誕100周年を明くる年に控えた2023年7月。
甲子園球場の熱中症対策・予防のため一・三塁側アルプス席の銀傘を拡張することを発表しました。
いまでこそドーム球場が多く存在しますが、ひと昔前の野球場と言えば、ほぼ雨ざらしの神宮球場や横浜スタジアムのような球場ばかりでした。
私の子どもの頃の後楽園球場(以前の巨人と日本ハムのホームグラウンド)では、試合の途中に雨が降り始めると帰宅を余儀なくされるほどの濡れ具合。
せっかくプロ野球を見に行ったにも関わらず最後まで見ることなく帰宅の途に就かされた記憶しかありません。
1924年の甲子園球場完成当初から存在した鉄傘は、多くの観客を呼び、多くの人が楽しまれたとのことです。
29年にアルプス席が増設されると、31年にはアルプス席まで鉄傘が拡張され「大鉄傘」と呼ばれるようになります。
大鉄傘に感動した女性ファンを楽しませていたアルプス席が当時の大屋根となって完全復活です。
長い時を経て、雨よけを目的に設置された鉄傘が、猛暑から人々の命を守る大鉄傘として、大きな使命を背負う存在となり、老若男女問わず甲子園を楽しむ球場になって行きます。
それは、夏に開催される「全国中等学校野球大会」を日陰で観戦でき、日焼けを嫌う女性ファンを誘い込む先駆け的存在となったことは言うまでもありません。
甲子園球場の象徴となった鉄傘(のちの銀傘)も、戦争が始まると軍の司令により、金属類回収令の標的になり、すべて取り外されしまいます。
甲子園の銀傘、戦後は銀傘?令和は、新大銀傘へ!
終戦1945年、甲子園に学生野球が戻り4年後の1951年、2代目と称される銀傘がジュラルミン製の屋根となって、甲子園球場に復活しました。
「銀傘」という愛称で親しまれるようになったその後、1982年に3代目の産声高い銀傘は、軽量で強度もあり、宇宙船、自動車、建築などで使われる、耐久性や耐腐食性を向上させることのできるアルミ合金製でリニューアル工事されての誕生です。
そして、4代目の銀傘は2009年に、海に近い潮風を浴びる建物にも使用できるサビに強く耐久性・耐震性も高く、ステンレス鋼板と比べるとコストが大幅に安いガルバリウム鋼板製へと切り替わり、現在に至ることとなります。
この頃から、甲子園球場の銀傘にソーラーパネルの設置・雨水の再利用などのエコ活動が始まります。
そして、阪神電気鉄道株式会社は甲子園球場の銀傘を、2028年3月にアルプス席の一・三塁側を合わせて3,328平方メートル(大阪駅の1つのホームは約1,500平方メートルなので、大阪駅のホーム約2面分)に拡げる予定を表明します。
今ある内野席銀傘(8,184平方メートル)から、1万1,512平方メートルに広げ、一・三塁側ともアルプス席に隣接する外側に地上6階の建物を建て支柱を設け、銀傘を支えるとして戦前の頃の大鉄傘が、大銀傘として復活します。
アルミニウム合金の一種であるジュラルミン製の屋根に阪神電鉄が投じた金額は8,300万円(ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)の年間パスポート1,000人分)。
工費約150憶円。野球のオフシーズンを中心に4段階の工期に分けて進められる予定。
高校野球ではアルプス席を応援団が占拠し、懸命な応援を繰り広げます。
新銀傘はアルプス席の約7割を包み込むことになり、中段付近の日照時間は真夏の1日当たりで、約6時間の減少が見込めるとのこと。
内野席全体では約8割が銀傘で覆い被さるのですから、日陰の部分が多くなります。
ある試合で計測したところ、内外野のスタンドでは40度近くの猛暑でも、屋根(銀傘)の下では31度まで気温の減少が見込めるそうです。
2024年のオフシーズンの工事は、球場とプロ野球阪神のクラブハウスを結ぶ連絡通路の架け替えを主に行ない、阪神電鉄から発表のあった銀傘拡張計画は、野球の今季シーズン終了後(2024年11月)から着工予定。
本格的な工事は2025年11月以降。銀傘の架設は、27年11月からの最終段階を予定しており、2028年3月開催の第100回選抜高校野球大会に合わせて完成を目指す。
これまでの鉄傘とは違い光沢感の強い銀傘が、パワーアップして帰って来ます。
銀傘は、この先も多くの名選手と名試合を見守り・作り出し観客を雨と日差しから守り続け、後世へと語り継ぎ、生きる建造物として愛されて行くのではないでしょうか。
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